22日と23日、撮影だけど天気いかに?
1958/12月の噴火は
1783年7月8日10時頃
4月、鳴動が始まり、大地は鳴り響く。
その後、何度となく爆発、震動がおこる。
7月に入り噴火活動は最高潮に達した。
7日の夕方から激しい噴火となる。
7月8日、前夜の鳴動もますます激しくなり、
夜が明けても空一面黒煙に包まれ、夜のように暗かった。
そして午前10時頃…
浅間山が光ったと思った瞬間、真紅の火炎が数百メートルも天に吹き上がると共に大量の火砕流が山腹を猛スピードで下った。
山腹の土石は溶岩流により削りとられ土石なだれとして北へ流れ下った。鎌原村を直撃した土石なだれはその時間なんとたったの十数分の出来事だった。
家屋・人々・家畜などをのみこみながら土石なだれは吾妻川に落ちた。鎌原村の被害は死者477人、生存者は鎌原観音堂に逃げ延びた93人のみだった。
この噴火の際、最後に流出したのが鬼押溶岩流である。
〈嬬恋村誌上巻 自然界 浅間山のおいたち・浅間山噴火史より抜粋〉
浅間山の噴火で村がなくなった。
鬼押溶岩流跡地に立つ真理ちゃんのYouTubeは
ポンペイでの出来事は