美しいヒトと一杯のコーヒーを

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フィールド・オブ・ドリーム

ネットより

本作に関しては、1人の映画ファンとしてではなく、1人の野球ファンとして感想を綴りたい。

本作を7年ぶりに観賞して、こんなに素晴らしい作品だったのか、と再認識させられた。
7年前の時点で、僕はすでに野球ファンであった。ただし、生でプロ野球を観戦する機会は滅多になかった。だから、漠然といい映画としか思わなかった気がする。しかし、この7年間で僕の野球に関する環境は大きく変化した。新たなプロ野球チームが地元に誕生し、生でプロ野球を観る喜びを何度も味わった。そんな経験を経たからこそ、今回観賞した時に全く違う印象を受けたのだろう。
往年の名選手たちが、全盛期の姿で目の前でプレーする。これ以上の野球ファンにとっての贅沢、夢が果たしてあるだろうか。その選手たちを観ながら、観客は彼らを、それぞれの思い入れのある選手にダブらせることだろう。それは、稲尾であり、金田であり、長嶋であり、王であり、張本であり、野村であるかもしれない。はたまた、落合であり、原であり、掛布であり、門田であるかもしれない。世代ごとに、個人個人スーパースターは違う。ただ、その伝説と記憶が脈々と、例えば父から子へと語り継がれていく。それが野球であり、ベースボールである。当時のVTRや、記録集や、頭の中に薄っすらと残った記憶でしか、当時の彼らに出会えることはない。だからこそ、スーパースターの野球人生の去り際では、大の大人が人目もはばからず涙を流すのである。
そんな選手たちが目の前にいるという奇跡。スクリーンの中の大人たちも、童心に帰ったように目を輝かせている。その気持ちが痛いほど分かるからこそ、とめどなく涙が溢れてくる。
僕のような野球ファンは絶対分かるはずだ。想像してみてほしい。あの阪急が、南海が、そして近鉄が復活している姿を。あの東京時代の日ハムが、弱小ロッテが、そして初年度の史上最弱と揶揄された楽天の面々が目の前で溌剌とプレーしている姿を。そりゃ誰だって遠方から観に行くだろう。
そして、当時の選手を見ながら、当時味わった感動や興奮、怒りや悲しみが、さらには当時の自分の人生が、蘇ってくるのだろう。そんな思いを馳せながら、ずっと本作を観ていた。
そして、あのトウモロコシ畑の球場の美しさに見とれてしまった。何故かどこか懐かしい気持ちにさせられた。雲ひとつない大空に高々と舞い上がる白球。さらにはカクテル光線で照らされたグラウンド。野球場には独特の時間が流れている。まさに、非現実空間であり、神秘的かつ魅力的な空間である。だから人々は飽きもせずに、本作ではないが、何かの力に引きつけられるかのように足を運ぶのであろう。芝の香り、バットの乾いた音。選手の一挙手一投足に固唾を呑み、歓声をあげる。世の中の雑音や厳しさから一瞬逃れて、夢を見させてくれる場所。それが野球場である。だからこそ、この超自然的な物語も受け入れられる。
本作を観ていると、いつの間にかノスタルジックな気持ちになる。それは、日本人の心に野球、アメリカ人の心にベースボールが宿っている証拠だろう。
間違いなく大傑作である。

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